
教養があり、洗練され、野心ある女性なら誰でも望むもの――生涯のパートナー、一軒家、そして輝かしいキャリア。そのすべてをエリザベス・ギルバートは30歳で手に入れた。しかし、彼女が満たされると感じることはなかった。
パニック、悲しみ、混乱に陥った末、離婚、うつ病、失恋を経験し、心身ともにボロボロになった彼女は、そんな状況から抜け出すためにあることを決意する。それは自分に向き合うための時間と場所を求め、持ち物も、仕事も、恋人も捨て、一人旅に出ることだった。
『食べて、祈って、恋をして』は、ギルバートがその1年の旅で経験した、あらゆることを赤裸々につづった体験記で、その生き方が世界中の女性の共感を呼んだ。彼女の旅の目的は、なにかひとつのことで伝統的に秀でた土地に身を置いて、自分自身の内面探求をすることだった。
最初にイタリアで彼女は喜びの奥義とイタリア語と学び、そして食べまくる。次にインド4ヶ月間の禁欲的な生活を送り、ひたすら瞑想した。そして最後に訪れたバリで、ギルバートは究極の目的――すなわち信仰の奥義と喜びの奥義の間でバランスをとる奥義を探ること――を探究する。
そして彼女は、治療師(メディスンマン)のいるその島で答えを探しながら、思いもよらず恋に落ちることになり……。



鏡:いわゆるよくある、ニューエイジっぽい自分探しのスピリチュアルもので、「先が見えてしまう本」かな、と思って 読み始めたら、中身は全然違って面白い!というのがこの本の最初の印象でした。よくある、今のスピリチュアルものって陰影がないけど、この本は違います。
陰影がないって? なんでも「ポジティブに行きましょう!」といった安直な感じでしょうか?
鏡:そう。すべてが、天使、光、愛みたいなところにいってしまって陰影がない。それが薄っぺらさにもつながってしまうんです。
でも、この本の著者は、すごく正直に自分の欲望をさらけ出さしているから、そこが面白い。ただ欲望をさらけだしているだけでもなくて、知性が勝っている人だから、知性と欲望の葛藤があるのも、陰影につながっている。自分の惨めさとか、格好の悪さもさらけ出すことができています。
自分がどこまで行けるかって考えて、とりあえず行ってみて、そしてギリギリの狭間でうろうろしていますよね。
欲望とスピリチュアルとの間の狭間でバランスをとろうとしています。
鏡:丹念に自分の中のプロセスを追いかけていますよね。ジャーナリストだから仏教やヨガの教義もきちんと勉強する姿勢がある。でも実際、そんなことをそんなにやってもダメだってこともどこかでわかっている人で、そのせめぎ合いが自分の中で起きているところに好感がもてます。
そして、セルフモニタリングがすごいですね、著者は。セルフモニタリングをするための、その先の視点もジャーナリストだからしっかりと持っている。欲望が突き抜けちゃっているから、それなりのところまで行ってしまうけれど、それをモニタリングしてくれているから、読んでいて面白いんです。

著者が瞑想をしていて、ある種の神秘体験というか、ラインを超えるシーンがあります。そういうライン超えみたいなことは、どう解釈されますか? ライン超えだけを目指しても、その後の人生にプラスになるかっていったら、それはわからないですよね。
鏡:宗教は社会適応するためにやるものではないから、本格的に宗教をやってしまったら社会から逸脱してしまうんです。修行で幸せになることはない。幸せって社会適応のことで、だから修行するときは出家するんですよね。
著者は、そのラインを超えた体験をもう少し極めたいという気持ちが起きなかったと思いますか?
鏡:彼女もそこのところでライン超えをしちゃいけないって思っているから、「さぁ戻らなきゃっ」っていう象徴的なシーンがいっぱいありましたね。
彼女が訪れた3つの土地ってお釈迦様がたどった道なんですよね。お釈迦様は元々、王子様で放蕩し三昧で、この世にネガティブなものはないと思い込んでいたけど、一歩外に出てみたら、生老病死があることがわかって、激しい 修行をする。これじゃあ死んじゃうと思ったところでスジャータに出会って中庸を知る、というイタリア、インド、バリってそのパターンですよね。
おお、この本のキーワードである「3」を、そういうふうに解釈されるとは面白いです。結局、バランスをとって戻ってこないと幸せにはならないってことでしょうか?
鏡:幸せになるのがいいのかどうかは、また別問題かもしれません。修業ってこの世を越えた幸せがあると思うからするわけですからね。
この本は30、40代の女性から圧倒的に支持を得ているんですが、オススメの読み方は?
鏡:1年間休んで旅に出るなんて、なかなか自分ではできませんよね。だからせめてここで著者がやったことを、彼女がモニタリングしてくれたことを読んで、追体験して、自分とそこを参照してみるっていうのは、答えはでないかもしないかもしれないけど、いいかもしれませんよね。
人生の曲がり角にきた女性としての葛藤や苦しみが赤裸々に描かれているから、共感する部分は多いと思います。
鏡さんは、この本を自己啓発本を読むよりおススメと評されましたが・・・?
鏡:ずっといい。だって究極の回り道をしていますよね。自己啓発本って最短距離を行こうとするからダメなんです。

バリで出会ったフェリペは、著者のソウルメイトだって思いますか? そもそも、ソウルメイトっていると思いますか?
鏡:いたらいいですよね。でも、ソウルメイトってあらかじめ決まっているものではないんじゃないかな。
自分次第? それとも思い込みでしょうか?
鏡:両方じゃないでしょうか。思い込めるって言うことが大事で、思い込める相手っていうのがソウルメイトなのかもしれない。普通、思い込めませんよね。
著者に起きたいろんな出来事を「運命だ!」って思うか、偶然の産物って思うかによって、この本の読み方も違うように思うんですが、運命と偶然って何が違うんでしょう?
鏡:それは見方、見え方かな、偶然と思うこともできるけど、何でも偶然だと思えば人生に意味がなくなってしまうし、何もかも運命だっていうのも困るし、両方を使い分ける。
意味のある偶然かどうかでしょうか?
鏡:意味っていうと、何だかそれは「役に立ってます」っていう感じがしちゃいますよね。そうではなくて、意味のある偶然って役に立たないことのほうが多い。自己啓発とスピリチュアルが一緒になってしまうから問題なんです。意味はあるかもしれないけど、それが人生に役に立たないことが多い。社会的な成功とか、恋愛がうまくいくかとか、そういうこととは関係ない、だけど、人生が豊かになるような、意味のあるという瞬間というのがたくさんあるって、気づかないといけないんです。この本の中にもそういう要素が盛り込まれていると思うので、深く読んでいくと面白い発見ができるかもしれませんね。


財産も住む家も共有せず、生涯をただ共に生きる――著者、エリザベスとその恋人、フェリペはそう誓い合っていた。どちらも苦しい離婚を経験していたから。
フェリペはオーストラリアの市民権を持つ、ブラジル人の宝石商。彼はバリ島に暮らしていたがその生活に見切りをつけ、拠点をアメリカに移し、そして二人は一緒に暮らすようになった。
しかし、米国のホームランドセキュリティ対策がある日突然、その静かな生活の前に立ちはだかる。米国籍を持たないフェリペは空港で6時間も拘束され、尋問されたのち、オーストラリアへの退去を命じられたのだ。フェリペと米国で暮らすための唯一の方法、それはフェリペが永住権を取得することだった。こうして二人は、やむをえず、結婚を決意する。
たが、さまざまな手続きには10ヶ月の月日を要した。その間、米国に入国できないフェリペと共に、エリザベスは結婚とは何かを徹底的に考えるため、二人で旅を続ける。ベトナム、カンボジア、タイ等、東南アジアの国々を点々としながら、最後は再び、バリにたどりつく。そこで訪れた国々で結婚についての考察を行うなかで、エリザベスはあれほどまでに拒んできた結婚というものと、どう折り合いを付けて生きていけばよいのか、という問いに何とか答えを見出そうとする。そして、彼女が行きついた「結婚」のあるべき形とは?



エリザベス・ギルバート(Elizabeth Gilbert)
小説家。ジャーナリスト。1969年アメリカ、コネティカット州生まれ。ニューヨーク大学卒業。
1993年、初めての短編小説をエスクァイヤ誌に発表。処女短編集である『巡礼者たち』(新潮社)が、パリス・レビュー新人賞、
プッシュカート賞を受賞、PEN/ヘミングウェイ賞の候補作となり好評を博す。
本書『食べて、祈って、恋をして』は40以上の言語に訳され800万部を突破する世界的ベストセラーに。2006年にはタイム誌が選ぶ「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。2010年に刊行された最新作“Committed”もNYタイムズのベストセラーリストに入り、大きな反響を呼んでいる。


1冊の本を選び、集まった人たちがさまざまなテーマについて語り合う「読書会」が今、密かなブームになっているのをご存知ですか?
そこで3回にわたり、yoga generationとのコラボレーション企画として、ヨガと本好きな女性に集まっていただき、『食べて、祈って、恋をして』をテーマに読書会を開催しました。参加者はみな初対面にもかかわらず、人生や恋愛をテーマにガールズトークは最高潮の盛り上がりに!
その模様はyoga generationでレポートされています。
ぜひ、ご覧ください!